新型コロナウイルス(SARS-CoV2)の感染が拡大してからというもの、消毒用アルコールの需要が爆発的に高まり、世の中からすっかり姿を消してしまいました。医療機関ですら消毒用アルコールを確保できない可能性が高まり、厚生労働省が、アルコール度数の高い酒を消毒用アルコールの代替にすることを認める事態にいたっています。実際、いくつかの酒造メーカーが消毒用エタノールと同濃度のお酒の販売を開始しています。

こうなってくると、飲料用のエタノール(お酒)以外のアルコールは世の中から姿を消したのではないかと思っていたのですが、先日、スーパーの店頭でエタノールが主成分と思われる商品を見つけました。

これが何の商品なのか説明する前に、アルコールとエタノール、消毒についてざっくり説明しておきます。

アルコールとは

「アルコール」という言葉は、2つの意味で使われます。

  1. 炭化水素の水素原子をヒドロキシ基(-OH)で置換した物質の総称。ただし、芳香環の水素原子が置換されたもの(フェノール類)は除く。
  2. 上記のうち、特にエタノール(エチルアルコール)のみを指す。 

エタノール以外にも、2-プロパノール(イソプロピルアルコール)も消毒に利用されるので、「消毒用アルコール」は必ずしも「消毒用エタノール」とは限りませんが、現下の状況で一般に「消毒用アルコール」とみなさんが呼んでいるのはもっぱら「消毒用エタノール」のことだと思ってよいでしょう。

エタノールの使い道いろいろ

飲料用(酒)

最も古くからのエタノールの用途はもちろん飲料用、つまりお酒です。1%以上のエタノールを含有する液体は酒税の課税対象になるため、調味料である本みりんも酒税が課されています。酒税の課税対象から外れるために、食塩や酢を添加して飲用に適さない味にするという方法があり、料理酒の多くはこの方法によって酒税の課税対象ではなくなっています。

工業用

エタノールはヒドロキシ基の部分で水と水素結合するので、任意の割合で水に溶けますし、炭化水素の部分は疎水性なので様々な有機化合物を溶かすことができます。このような性質から有機合成反応の溶媒として広く使われ、また、エタノール自身が合成材料にもまります。工業用に使う場合でも、エタノールである以上は、そのままでは酒税の課税対象になってしまうため、工業用エタノールはメタノール(メチルアルコール)や2-プロパノール(イソプロピルアルコール)などの添加により飲用不可能にして酒税を回避しています。メタノールは毒性の強い物質で、戦後の混乱期、メタノールを含む工業用エタノールを流用した密造酒によって失明する例が多発し、「メチル(アルコール)で目散る」などと言われたそうです(大学時代の有機の教授談)。飲むのは絶対やめましょう。

燃料用

今やエタノール消費の8割近くは燃料用です。昔、学校でアルコールランプを使って実験した記憶があるとおもいますが、あのアルコールランプの燃料はエタノールとメタノールの混合液です。2000年代以降、自動車燃料としてエタノールが注目され、消費量が増加しました。いわゆるバイオエタノールです。日本ではあまり普及していませんが、国によってはガソリンとエタノールを混合したフレックス燃料の使用がかなり進んでいます。

消毒用

消毒用エタノール、略して「消エタ」と呼ばれます。コロナ禍以前には空気のような存在でしたが、今ではほとんど聖水のような扱いです。

一般的に消毒用エタノールのエタノール濃度は70~80%前後です。濃度が高すぎると蒸発が速すぎて消毒効果が落ちると考えられたからですが、現在では95%でもそれほど効果に差はないとされています。また、ウイルスに対しては濃度が高ければ高いほど効果が高いとも言われます。
(参照: http://www.jarmam.gr.jp/situmon/alcohol_noudo.html

エタノールは中等度の消毒薬に位置付けられ、かなりの範囲の細菌・ウイルスに有効ですが、すべてに有効なわけではありません。エンベロープという外膜を持つウイルス(インフルエンザウイルスやコロナウイルスなど)に対しては、エンベロープを破壊することで消毒効果を発揮しますが、破壊すべきエンベロープをもともと持たないウイルス(ノロウイルスなど)に対しては無効です。

近代医学の成立以前、細菌やウイルスの存在が知られる以前から、人類は経験的にエタノール消毒の効果を知っており、利用してきました。時代劇で、傷口にお酒を吹きかけるシーンを見たことがあるでしょう。現代の知識で考えると、消毒目的としてはエタノール濃度が低いように思えますが、それでも一定の効果はあったはずです。

こんなところにエタノール

さて、ようやくですが、冒頭で紹介したエタノール含有商品の正体をお見せします。

「衣類用冷感スプレー」と呼ばれる商品で、衣類にスプレーしておくことで、冷涼感を得られ、汗のにおいを抑えられるというもので、複数のメーカーが同類の商品を出しています。エタノールの気化による吸熱作用(いわゆる気化熱)とメントールによる冷感作用によって冷涼効果がもたらされるものなので、中身は基本的にl-メントールをエタノールに溶解したものです。写真の商品ではこれに「緑茶エキス」と「除菌剤」が添加されていますが、いずれも少量と思われます。エタノールとメントール以外の成分は商品ごとに微妙に違いがあるようです。水を含む商品もあるようですが、メントールは水にきわめて溶けにくく、水の割合が大きくなるとメントールが溶解しきれなくなるため、水の割合はそれほど大きくはないはずです。

あくまで衣類用の商品なので、本来は肌に直接使用すべきではありません。商品説明にも「肌に直接使用しないでください」と書いてあります。

とはいえ、現在のこの非常時ですし、成分的にも有害なものでもないので、消エタの代わりに使えないものかと、実験的に手指に使ってみました。良い子のみんなはマネしないでね。

成分に水が含まれていないことから、エタノール濃度が消エタよりかなり高いと推測されますが、実際、蒸発がかなり速く、手指にまんべんなく塗布する前に消えてしまう感じです。伸びが悪い、と表現してもいいかもしれません。

また、メントールの効果でしばらく手がスースーします。これを爽快と感じるかどうかは人によるでしょうが、頻繁に使うと手の感覚が変になるかもしれませんし、痛く感じる人もいるかもしれません。少なくともメントールに対して過敏な人は使えないでしょう。また、メントールの香りがしばらく続きますので、これも苦手な人には耐えられないでしょう。

上で述べたように、ウイルスに対する消毒効果はエタノール濃度が100%に近いほど良いらしいですが、細菌に対する効果を考えると、エタノール濃度を下げる必要があります。それで水を加えてみたところ、予想通り白濁しました。おそらくメントールの析出によるものと思われます。白濁したからといって害があるわけではないですが、気持ちのいいものではありません。ただ、水を加えることで消エタ並みに伸びはよくなります。

手指ではなく器具の消毒にはどうかと思って使ってみましたが、拭きとったあとにメントールによるのものと思われる白い痕跡が残ります。加水したものの場合はなおさらです。

全体的な感想としては、消エタの代わりに使うには難点が多いかなというところです。本来の使用目的を守ったほうがいいでしょう。それに、これらの商品の流通総量はそれほど多いとも思えないので、消エタの不足分を補うことはできそうにありません。

そもそも、医療現場以外では、手洗いよりエタノール消毒を推奨する根拠は低いと考えられていますので、家庭などでは手洗いを十分にすれば、エタノールによる手指消毒にこだわる必要はないのではないでしょうか。